เข้าสู่ระบบ抱かれるのだと思った。 けれど、朔弥さんが私を運んだのは寝室ではなかった。 居間のソファへゆっくり下ろされる。腰の後ろにはクッションを入れられ、膝には毛布まで掛けられた。 「どこか痛くないか」 「ありません」 「お腹は」 「大丈夫です」 朔弥さんは私の前へ膝をつき、毛布の上から下腹へ手を添えた。 大きな掌が、確かめるようにゆっくり動く。触れ方はどこまでも優しいのに、玄関で向けられた目を思い出して、そこから熱が広がるようだった。 彼が立ち上がろうとする。 私は、とっさに彼の手を掴んだ。 「どこへ行くんですか」 「温かいものを持ってくる」 「今じゃなくてもいいです」 朔弥さんが動きを止めた。 こちらを見た瞳には、まだ熱が残っている。隠そうとしても、私を欲しがっている目だった。 「朔弥さん……」 「その声で呼ぶな」 掠れた声が返ってきた。 「どうしてですか」 「我慢できなくなる」 そう言いながら、頬へ触れる。 親指が唇をなぞった。玄関で何度も重ねられたところを確かめるような触れ方に、思わずその指へ唇を押しつける。 朔弥さんの喉が動いた。 「真尋」 「はい」 「煽っているのか」 「そんなつもりはありません」 「なら、無意識か」 そのほうが困る、と低く呟かれた。 次の口づけは、触れるだけだった。 一度離れ、また重なる。深くは入ってこない。その代わり、唇の柔らかさも、吐息の熱も、離れるたびに名残惜しそうに追ってくる気配も、はっきりわかった。 腰へ回った手が、服の上から身体の線をなぞる。 脇腹を滑り、膨らんだお腹の手前で止まった。指が布を掴む。進みたいのに、無理に引き止めているような手だった。 私の首筋へ額を押し当て、朔弥さんが息を吐く。 熱い呼吸が肌へ直接触れた。肩をすくめると、その動きさえ逃さないように腕の中へ閉じ込められる。 「抱きたい」 唇を寄せたまま、朔弥さんが言った。 押し殺した声が、触れ合った肌から身体へ入り込んでくる。 言葉にされた途端、玄関で壁へ押しつけられた感触も、唇を塞がれた熱も、すべて戻ってきた。 その一言だけで、腰を抱く手をまた意識した。 「でも、抱かない。君にも、子どもにも、何かあってからでは遅い」 顔を上げた彼の目に
テーブルの上で、白いカップが小さく鳴った。 澄麗は、頬へ手を当てたまま動かなかった。 「……どうして」 父親を見る目だけが、ゆっくりと動く。 「どうして、私を叩くのよ!」 「余計なことまで口にするからだ」 雅臣は、乱れた服を直した。 娘を叩いた手ではなく、自分を気にしていた。 「余計なことですって!?」 澄麗の声が裏返る。 「お父様が言ったことでしょう! 御門が困れば、朔弥さんは一条を頼る。真尋さんのお父様や、城戸さんの仕事も止めればいいって」 「それを、ここで話すなと言っている」 「どうして? 本当のことでしょう!!」 叱られた理由は、したことの酷さではなかった。 人前で話したことを、責められている。 「お父様が、何とかしてくださると言ったのに」 「限度がある」 「失敗したら、私一人のせいにするの?」 「私は一条と御門を守ろうとしている。お前の癇癪とは違う」 さっきまで私に家族を差し出せと迫っていた二人が、今度は互いを差し出そうとしている。 どちらも、自分が悪いとは少しも思っていないらしい。 「お父様だって、私が朔弥さんと結婚すれば都合がよかっただけでしょう!」 「口を慎みなさい」 雅臣の手が、もう一度動いた。 「それ以上、手を上げるな」 朔弥さんの声で、その手が止まる。 「責任を押しつけ合っても、君たちがしたことは消えない」 雅臣は私たちを見た。 「家族の話に、口を挟まないでもらおう」 「真尋を巻き込んだ時点で、君たちだけの話ではない」 澄麗は、父親から顔を背けた。 赤くなった頬を隠そうともせず、朔弥さんへ腕を伸ばす。 「朔弥さん……やっぱり、私を助けてくださるのは、あなただけなのね」 縋るように、もう一歩近づく。 「私も、あなたのお力になりたかっただけなの」 彼は私を背中へ庇った。 「触るな」 澄麗の手が止まった。 「俺に近づくな。真尋にも、子どもにも」 「……その人の何が、そんなにいいの」 朔弥さんが答えるより先に、私は彼の背中から出た。 「あなたにわかっていただかなくて結構です」 朔弥さんの腕を取り、自分の隣へ引く。 「この人が好きなのは、私ですから」 澄麗の顔が真っ赤になった。 両手でテーブルを叩く。白いカップの中で、お
「待ってください」 私は、朔弥さんの手を握ったまま言った。 応接室にいる全員が、私を見る。 「順番が違いませんか?」 まだ、きちんとプロポーズもされていない。 それなのに、私の返事まで決まったように、先に宣言してしまうなんて。 さっきまで勝ち気に笑っていた朔弥さんの目が、ほんの一瞬だけ揺れた。 不安そうに、私を見ている。 私が断るなんて、そんなはずはないのに。 それでも、すぐにそんな顔をしてしまうところが、やっぱり可愛い。 澄麗の顔に、消えかけていた笑みが戻った。 「ほら。真尋さんは、お望みではないのよ」 そこだけは、勝ったと思ったらしい。 「そういう意味ではありません」 「でしたら、お断りになればいいでしょう?」 「どうして、あなたに言われて決めなければならないんですか」 澄麗の笑みが止まった。 プロポーズの返事は、きちんと私に聞かれてからする。 けれど、今ここで澄麗に伝えることは、もう決まっていた。 「私、別れません」 自分の声が、応接室にはっきり響いた。 「この人を、あなたに差し上げるつもりもありません」 隣で、朔弥さんの手に力が入った。 私を見たけれど、何も聞かなかった。ただ、指を深く絡め直した。 澄麗は、私たちを交互に見た。 「どうしてよ」 声が大きくなり、扉のそばにいた係員がこちらを向いた。 「もう離婚したでしょう。会社だって困っている。子どもまでできたんだから、もう十分じゃない!」 「何が、十分なんですか」 「朔弥さんも、子どもも、仕事も。全部持っているでしょう!」 澄麗は立ち上がり、テーブルを回り込んだ。 「ひとつくらい、私にくださってもいいじゃない!」 澄麗は私への言葉を切り、父親へ振り向いた。 「お父様が約束したのよ!」 雅臣の眉が寄った。 「私が子どもの頃から朔弥さんだけを好きだったこと、お父様は知っているでしょう。真尋さんを退かせれば、朔弥さんを私のところへ戻してくださるって!」 「機会は作った」 雅臣の声も、低くなる。 「一条家の人間でありながら、男一人もものにできないとは嘆かわしい」 「そんな言い方……」 「お前はやり方が下手なんだ。感情で動き、相手に気づかれ、人を使ったことまで掴まれた」 「私の気持ちを利用した
婚約? どういうこと? 朔弥さんから、そんな話は一度も聞いていない。 そう思っていると、かちゃり、と奥の扉の取っ手が下がった。 澄麗の笑みが止まった。 雅臣が顔を上げる。 扉がゆっくりと開いた。 黒い革靴が、応接室の絨毯を踏む。紺のスーツ。車の中で私が直したネクタイは、少しも乱れていなかった。 朔弥さんは澄麗を見た。 「誰が、君と婚約する」 澄麗は父親の腕から手を離し、立ち上がった。 「さ、朔弥さん。どうして、こちらに」 「真尋を一人で来させるわけがないだろう」 彼は私の隣まで来た。肩へ手を添えられた途端、張りつめていた力が抜けそうになる。それが悔しくて、私は背筋を伸ばした。 澄麗が、慌てて笑みを作った。 「ちょうどよかったわ。来週の発表について、お話ししていたところなの」 「俺は聞いていない」 「冴子様とは、前から両家で――」 「母さんと結婚するのか、君は」 澄麗の笑みが消えた。 「そんな言い方……。御門のために必要なお話でしょう?」 「俺の結婚相手を、俺以外が決める話のどこが必要なんだ」 雅臣が、娘を庇うように身を乗り出した。 「言い方を考えたまえ。澄麗は君の会社を救おうとしているんだ」 「真尋を追い出した褒美に、結婚してくれと?」 「君が意地を張らなければ、一条も協力できる」 雅臣は私を見た。 「君を選んだせいで社員が路頭に迷っても、平気なのかね」 また、私に言う。 夫を助けたければ身を引け。父の仕事を守りたければ署名しろ。 いつも、私がいなくなれば丸く収まるという話だった。 膝の上で、手を握りしめた。 朔弥さんはその手を包み、私の肩を抱き寄せた。 「真尋を見るな。俺に言え」 「君が聞かないから、彼女に話しているんだ」 「一条の名で圧力をかければ、俺が真尋を差し出すと思ったか」 雅臣の顔が赤くなった。 「娘を何だと思っている!」 「では、結婚を取引の条件にするな」 澄麗が父親へ顔を向けた。 「お父様は、私のために……」 「俺が断っても、真尋を脅して別れさせれば済む。そういう話をしていたんだろう」 朔弥さんが澄麗を見る。 「自分の手で、真尋を階段から突き落とした。真尋と俺の子を殺そうとした女を、俺が許すと思うか」 澄麗の目が見
三日後の午後五時、私たちは御門のホテルへ向かった。 車が正面玄関へ近づくと、朔弥さんが私の手を握った。 「引き返すなら、今でもいい」 「何度目ですか」 「まだ足りない」 私は空いた手で、彼のネクタイを直した。 「近くにいてくださいね」 「離れろと言われても、離れない」 ホテルには別々に入った。 私は正面から、朔弥さんと弁護士は別の入口から隣室へ向かう。車を降りる時まで繋いでいた手が離れると、急に指先が頼りなくなった。 応接室では、澄麗が窓際に立っていた。 淡い桃色の服に、揺れる耳飾り。階段で私へ手を伸ばした時とは違う、穏やかな顔を作っている。 「いらしてくださって、嬉しいわ」 私の後ろを確かめ、笑みを深くした。 「今日は、本当にお一人なのね」 「条件を伺いに来ました」 入口にはホテルの係員がいる。右手の扉の向こうには、朔弥さんたちがいる。 それでも椅子へ腰を下ろすと、扉一枚がひどく厚く思えた。 テーブルには、白いカップが二つ並んでいた。 澄麗がポットを取り、私の分だけに茶を注ぐ。 「カフェインの少ないものにしていただいたの。どうぞ」 榊原さんの声が蘇った。 澄麗さんの前では、飲み物を口にしないでください。 礼を言い、カップを持ち上げた。 湯気が唇へ触れる。向かいの目は、私の口元から動かない。 少し傾け、喉だけを動かした。 「おいしいです」 澄麗の目が、ゆっくりと細くなった。 唇の端が片方だけ、ぬるりと吊り上がる。白い歯が一本、覗いた。 きれいに整えられた顔なのに、その一瞬だけ、人の顔を借りた何かが笑ったように見えた。 背中がぞくりと冷え、反射的にお腹へ手を置きそうになった。 けれど、その衝動を押し殺し、膝の上で指を握った。 「よかったわ」 受け皿へ戻し、スプーンを右へ置く。 打ち合わせていた合図に気づいた係員が、温度を理由にカップを下げた。隣室で封をして、検査へ回す手筈になっている。 澄麗は止めなかった。 私がもう飲んだと思っているからだ。 「階段では、ご自分で足を滑らせた。妊娠中で気が動転して、私に押されたと勘違いした。そう警察へ訂正してください」 まるで、決まった文面を読み上げるような声だった。 「それから、離婚届は争わないこと。朔
朔弥さんが私を抱く腕に、力を込めた。「今日は、ここまでにしよう」 城戸さんが立ち、榊原さんの荷物を持った。私は見送りに出られなかった。玄関で扉が閉まる音を聞いても、お腹に当てた手を動かせなかった。*** 戻ってきた朔弥さんが、私の前へしゃがんだ。「真尋」「会いたくありません」 彼の顔を見るなり、口から出た。 昨夜は、何を仕掛けてくるのか確かめるつもりだった。あの人に負けたくないとも思った。 でも、薬を渡されても、私は見分けられない。 飲んだあとで何かおかしいと思っても、間に合わなかったら。 朔弥さんのシャツを掴んだ。「澄麗さんは、この子がいなくなれば、あなたが自分を選ぶと思っているんでしょうか」「そんなわけがないだろう」「わかっています。でも、あの人は」 声がおかしくなった。「私が泣いていたら、あなたは澄麗さんのところへ行くって、本気で思っているんですね」 彼の手が、私の後頭部へ回った。 額を胸へ押しつけられる。片膝を床についたまま、背中まで抱かれた。「行かない。あいつのところへ行くくらいなら、一生ここにいる」「仕事は」「今、その話をするな」 少し怒った声だった。 私はシャツを掴んだまま、顔を隠した。 彼はしばらく動かなかった。 私が鼻をすすってから、手の届くところにある箱を取ってくれる。受け取った紙で目元を押さえると、彼の胸にも濡れたところがあった。「すみません」「乾く」「会うと言ったのに、こんなことで」「こんなこと、ではない」 朔弥さんが顔を覗き込んだ。「返事は、俺が変える。面会は断る。それでいい」 私は頷いた。 昼食は、ほとんど食べられなかった。 朔弥さんが向かいでスープを飲み、私の皿を見て、自分のパンを半分に割る。「これなら、どうだ」「子どもじゃありません」「知っている」 小さくちぎったところを差し出され、私は口を開けてしまった。 飲み込むと、彼がもう一つちぎる。「自分で食べます」「今さらだろう」 悔しいけれど、食べられた。 お腹に手を添える。ちゃんと食べるから。そう思って、今度は自分でパンを取った。 食事のあと、私のスマートフォンが鳴った。 一条澄麗。 画面を見せると、朔弥さんが手を伸ばした。私はその手を押さえた。「聞いていてください」 彼が隣へ椅子を寄せる
――子どもは、まだなの。 御門家の朝食卓で、その問いは天気の話みたいな顔で落ちてきた。 問いというより、確認だ。いつまで待たせるつもりなのか、と。銀のスプーンが白い皿に触れる小さな音のほうが、よほどやさしい。 「仕事が忙しいのはわかるけれど、女には期限がありますからね」 義母の冴子は穏やかに微笑んだ。 露骨に責める人より、こういう人のほうが厄介だ。やさしい声のまま、逃げ場のないところだけを刺してくる。 隣では、義祖母の千鶴が新聞を畳み、こちらも見ずに口を開いた。 「会社を支えたことは評価しているわ。でもね、真尋さん。妻の仕事は、それだけじゃないの」 喉の奥が細くな
反抗には、たいてい請求書がつく。 翌朝、会社に入った瞬間、そのことがよくわかった。 昨日の夕食の席での出来事は、都合よく形を変えて社内に届いているらしい。 感情的な奥様。 離婚を受け入れられずに拗れている女。 口うるさい女役員の悪口は、みんな大好きだ。仕事の連絡より、よほど早く回る。 午前十時、海外提携案件の定例が始まった。 先方へ出す収益計画は、今日中に確定させなければならない。ここで数字を誤れば、取引は飛ぶ。 会議室に入った瞬間、嫌な予感がした。 配布済みの資料に、前夜の修正版ではなく一つ前の版が混ざっている。しかも特損の注記だけが抜けていた。 「こ
ダイニングルームに入った瞬間、足が止まった。 義母の冴子、その隣には祖母の千鶴、向かいには朔弥さん。そして、夜の席にいることがあまりに自然すぎる一条澄麗。 胸の奥で脈がひとつ大きく跳ねた。嫌な予感だけが、遅れてはっきり輪郭を持つ。 澄麗は淡いグレージュのセットアップに細いパールを合わせて、まるで最初からこの家の夜の食卓に馴染むために育ってきたみたいな顔をしている。 「こんばんは、真尋さん」 澄麗がやわらかく微笑んだ。 「ごめんなさい、勝手にお邪魔してしまって。御門家とは家族同然のお付き合いですので、つい昔の癖で入ってしまいましたの」 私は一拍遅れて会釈した。 もう
「真尋。今はやめろ」 掴まれた手首が痛い。 腹の奥が焼けて、呼吸が乱れた。 叫びたかった。この場で全部、ぶちまけたかった。 彼の顔を見た。 そこにあったのは、私への心配ではなく、場を乱された苛立ちだった。 胸の奥を、鈍いものが刺した。 そのとき、澄麗の声が届いた。 「ごめんなさい。私、何か失礼でしたか?」 澄麗は困ったように目を伏せる。 完璧だった。責めたほうが浅く見える形に、もう整っていた。 「……いいえ。お気遣い、ありがとうございます」 噛みしめた唇が切れ、舌の裏に鉄の味がした。 朔弥さんの手が離れる。 そこだけが、熱を持って痛んだ。







